2016年4月27日水曜日

テンプル騎士団の秘密と女神との繋がり

2016年4月28日

テンプル騎士団の秘密と女神との繋がり

http://www.joannakujawa.com/the-secret-of-the-knights-templar-and-the-goddess-connection/




以前の私のブログ記事で説明しきれなかったテンプル騎士団と古代エジプトの神秘、それからマグダラのマリアについて、今回の記事で補足させていただきます。

https://www.joannakujawa.com/mary-magdalene-the-heretics-kings-and-lovers/
マグダラのマリア、異端者、王、恋人たち

以前のこちらの記事でマグダラのマリアとトルバドゥールカタリ派の繋がりについて論じました。いずれも南フランスに関連しており、その中心には古くから続くマグダラのマリア信仰がありました。「異教徒」のカタリ派は13世紀に虐殺されました。表向きの歴史では、カタリ派の物語はモンセギュール城が1243年に陥落し、210名の異教徒たちが火あぶりの刑に処されたと同時に終わりを告げたとされています。

実は、その時ほんの数名ですが、財宝を持って脱出に成功していたのです。現在では、カタリ派は非常にスピリチュアルな人々で、マニ教にも関連したグノーシス派の教えを受け継いでいるようです。カタリ派の財宝は物質的な価値を持ったものだったとは考えにくいです。カタリ派は財宝を守るために殉職していっただけでなく、それをモンセギュール城を攻めてきた兵士と分けることで生き永らえることはできたはずだからです。もちろん、兵士たちも城を陥落させないと自分たちが火あぶりの刑になると知っていたので必死でしたが。いずれにせよ、カタリ派の財宝は霊的な意味合いがあるものだったのではないかと思います。もしかしたら、誰もが求めてやまない、宇宙的な何かだったのかもしれません。

学会でのルールを無視して自由に研究できる状況にいる研究者たちは、このことに気づいています。そんな彼らの研究経過を少し覗いてみましょう。


まず、城が陥落する前に、数名が恐らく財宝とその秘密を持って脱出したと考えられてます。ですが、一体誰が、どのような知識を持って生き延びたのでしょうか?そこで考慮すべきなのがテンプル騎士団です。彼らも、命を賭してでも守り抜きたいと思っていた神秘の財宝を持っていたと考えられています。その財宝は、カタリ派が処刑された後の1307年に地中に埋められたとされています。


テンプル騎士団とは、誰だったのでしょうか?



歴史の教科書には、テンプル騎士団は十字軍の一派であり、聖地へと赴く巡礼者を守るのが仕事と書かれています。しかし、フレディ・シルバが著書の「The First Templar Nation」の中で論じているように、これは真実を隠す為の煙幕に過ぎません。彼は11人(!)の騎士からなる騎士団の歴史を遡っていきました。すると、この団員は皆既に裕福で、これ以上の富を求める理由がない人達だったことが分かりました。そんな彼らが聖地に何を求めて旅立ったのでしょうか。彼らが1104年にエルサレムに到着した際、彼らがやっていたのは戦場に向かうことではなく、神殿の丘に眠る財宝を探しに行くことでした。

シルバが述べたように、騎士団員たちは既に裕福でした。ですから、さらに富を蓄えようという動機はありませんでした。神殿の丘の下に秘密の部屋を見つけ、そこにあった初期グノーシス派のエッセネ派の秘密の巻物を見つけ、上級イニシエーションを受けた古代の者たちの教えを受け継いだという説には、シルバは反対しています。シルバが主張しているのは、その巻物は「霊的な法」について書かれたものであり、恐らくそれが契約の箱アークであったということです。(ソロモン神殿はアークを保存するという目的のためだけに建設されました。そして紀元前586年にバビロニア人によって破壊されました。)

テンプル騎士団がそこで何を見つけたのか、その確証はどこにもありません。ですが、そこで何かを見つけたことだけは確実なのです。それから数十年後ほどで、彼らは突然そこを去り、ヨーロッパへ向かいました。そこでLambert de Saint-Omerやその知人や学者たちと面会し、それらの文書の解読を依頼していたのです!Saint-Omerの死後、解読作業はカバリストのラビであったソロモン・ベン・イザクに託されました。(彼もテンプル騎士団員の知人でした。)


シルバはこの文書は「形成の書」のようなものであり、この世の全ての謎を解き明かす聖杯伝説のような、具現化の公式が書かれていたものだと主張しています。


詳細まで話すと長くなってしまいますが、シルバの唱えるこの説に反論することは難しいです。何故なら史実として、テンプル騎士団はその後現在の一兆ドルに及ぶ富をわずか数年のうちに築き上げたのですから。テンプル騎士団はヨーロッパ中に、独立した連合体を作っていき、そこにゴシック調の大聖堂を建ててまわりました。そして、それらの大聖堂はすべて「聖母」に捧げるものであり、神聖幾何学の原理が使われた建物だったのです。


なぜ、「聖母(フランス語でノートルダム)」なのでしょうか?


私のようにカトリック系の家に育てられた人なら、聖母がイエスの母のマリアのことを言っていることはすぐにお分かりになると思います。ですが、シルバが主張しているのはこのマリアのことではありませんでした。これらの建物の多くは、7月22日の「マグダラのマリアの祝宴」を記念して建てられたものだったのです。非常に興味深いことだと思われませんか?


サンタ・マリア・ド・オリヴァル教会


それだけではありません。これらの教会(大聖堂)の多くは、実は古代の女神イシスの神殿跡に建てられたものだったのです。シルバの本ではポルトガルのトマルにあるサンタ・マリア・ド・オリヴァル教会について深く論じられています。トマル(Tomar)はタマル(Tamar)は似ていますね。「タマル」マグダラのマリアとイエスの間にできた娘の名前として、いくつかの伝説では知られています。(サーラとも呼ばれているようです。)


不思議な事に、タマルはソロモン王の娘の名前でもあります。ミステリースクールの教えでは、タマルは「ヤシの木」という意味であり、復活の儀式のシンボルなのだといいます。したがって、シルバはサンタ・マリア・ド・オリヴァル教会はテンプル騎士団が高レベルのイニシエーション儀式を行っていた場所だと考えています。その儀式は、古代エジプトのミステリースクールにおいて女神イシスの秘儀とされていたもののようです。(女神イシスは男神オシリスの復活を試みていました。)


作家のマーガレット・スターバードによれば、マグダラ(Magdakene)という名前はMagdal-ederと分けることができ、「エルサレムの娘」という意味なのだそうです。スターバードもマグダラのマリアとソロモン神殿と古代エジプトのミステリースクールを結び付けている一人です。

ここで、女神とテンプル騎士団の関係性を整理してみましょう。


1. テンプル騎士団は神殿の丘ですごいものを見つけ、それをヨーロッパに持ち帰って解読した。

2.その後テンプル騎士団は短期間でものすごい裕福になった。(キプロス島すら所有していた)

3.ヨーロッパ各国に聖母(ノートルダム)に捧ぐゴシック調の大聖堂を建設した。

4. テンプル騎士団にとっての重要な日は、マグダラのマリアの祝宴の日(7月22日)

5.大聖堂が建てられた場所は、かつて(イシスなどの)女神信仰があった地

その後


1307年の10月13日の金曜日、テンプル騎士団は火あぶりの刑に処されました。(どこかで聞いたことありますね) 教科書では、フランス王のフィリップ4世が以前にユダヤ人をフランスから追い出したのと同じように、テンプル騎士団を(お金を稼ぐために)追放したのだと言われています。団員は捕らえられ、拷問され、リーダーは火あぶりの刑にされました。その財産は一体どれほどなのだろうと、王たちは期待を膨らませていました。しかし、結局王はテンプル騎士団の後ろには何も残ってなかったという事実だけを目の当たりにしたのでした。


シャルトル大聖堂の迷宮


拷問を受けた団員たちは、何も言わなかったか、嘘の話で王を混乱させたりしました。例えば神秘の財宝が北のノルマンディー地方のジゾーという場所に隠してあると言ったりしました。その間、そこから500㎞ほど離れたラ・ロシェルの港には18隻の船が並び、脱出に成功したテンプル騎士団たちの帰りを待っていました。シルバは、恐らく彼らはポルトガルか北スコットランドに逃げたのではないかと推測しています。ポルトガルにはその後すぐにテンプル騎士団が結成されました。面白い事に、シルバは「ポルトガル Portugal」という言葉は「Por Tu, O Gral」という文に聞こえなくもないと言っています。「あなたを通る、ああ、聖杯(グレイル)よ。」という意味になります。これはシャルトル大聖堂にある契約の箱アークのイメージについての合図だとも言われています。ちなみに、シャルトル大聖堂もテンプル騎士団が所有していました。


現代の聖杯伝説との違い



南仏マグダラマリア洞窟


まず、マーガレット・スターバードが著書「The Woman with the Alabaster Jar」の中や、マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーン著の大ベストセラー「レンヌ=ル=シャトーの謎 - イエスの血脈と聖杯」の中で論じられているように、「聖杯とはマグダラのマリアの子宮のこと」だとされています。彼女とイエスの間にはサーラもしくはタマルと呼ばれる娘がおり、彼女はフランスのメロヴィング朝の血脈だと言われています。

歴史的には、メロヴィング朝は中世初期にはフランス王族としては存在していなかったとされています。


マリアの娘の子孫は、どこにいたのでしょうか?


それは誰にも分かりません。どの王朝も、「自分は神性な血脈だ」と主張していますから。王族はどこも信用なりません。


ですが、マグダラのマリア信仰は今日も南フランスの地で脈々と続いているそうです。


あなたはこの話を信じますか?


王族が信用ならない人であれば、霊的探求者として物事を見つめてみるのをお勧めします。


王や女王のDNAが重要なのではなく、宇宙や人間の究極の然についての神秘を数世紀に渡って継承し続けてきた一族が存在するということが興味深いことではないでしょうか



霊的探偵Dr Joanna Kujawaより



2016年4月13日水曜日

集団瞑想は暴力犯罪を防止することができるのか?意外なことに、データは肯定的な結果を示唆している:新しい研究

 2016年4月14日

集団瞑想は暴力犯罪を防止することができるのか?意外なことに、データは肯定的な結果を示唆している:新しい研究

https://www.eurekalert.org/news-releases/671086


2007年から2010年の介入期間中、高度な超越瞑想プログラムを実践する大規模なグループは、米国の殺人事件および都市における暴力犯罪率の有意な低下と関連していました。

査読つきの出版物
マハリシ・インターナショナル大学


大人数で瞑想を行うことが犯罪率を下げることができるのか? 数十年にわたる研究シリーズの中で最近のものは、Transcendental Meditation(超越瞑想)の高度なプログラムであるTM-Sidhiプログラムを実践する十分に大規模なグループは、社会的暴力の減少と関連していることを再び示唆しています。

2007年から2010年の期間、十分な数のグループが存在した場合、統計分析により、2002年から2006年の基準期間に比べて、全国の殺人率および都市の暴力犯罪率が有意に減少したことが判明しました。

画像: 2007年から2010年にかけて、高度なTM-Sidhiプログラム参加者のグループのサイズが負の傾向を減少させると予測された閾値(√1%)を超えたとき、米国全土の殺人率と都市の暴力犯罪に重大な変化がありました。2002年から2006年の基準期間に比べ、殺人率は21.2%(年間5.3%)、暴力犯罪は18.5%(年間4.6%)低下しました。



基準期間の平均殺人率に対する殺人率の総減少率は、介入期間の4年間で21.2%(年間5.3%)でした。月次データの分析により、2002年から2006年の基準期間中に上昇傾向にあったアメリカの殺人事件数が、研究の介入期間である2007年から2010年に逆転したことが示されました(グラフ参照)。研究者たちは、殺人率の増加から減少傾向に大きく転換したことにより、8,157件の殺人事件が回避されたと推定しています。

暴力犯罪率の減少率は18.5%(年平均4.6%)であった。この研究では、人口10万人以上の全国206都市のサンプルについて、2002年から2006年までの横ばい傾向から2007年から2010年の減少傾向への大幅な転換が見られたと報告している(図を参照)


予め予想されていたこと


2006年7月から、上級瞑想者たちがアイオワ州フェアフィールドのマハリシ大学に集まり、全米に影響を与えるための十分な大規模なグループを形成し始めました。

報道機関や他の科学者に予測が発表され、アメリカ人口の平方根1%以上に到達またはそれを超えたときに、暴力犯罪の大幅な減少が起こると予想されました。2007年1月には、アメリカ人口の平方根1%である1,725人を超え、2010年までその水準に近い人数を維持し続けました。

この研究は、SAGE Open Apr 2016, 6 (2) にて発表されました。このジャーナルは出版倫理委員会(COPE)のメンバーです。

社会科学における新しい仮説として


リード著者のマイケル・ディルベックは、「社会科学において、瞑想が社会にストレスを軽減する効果や一体感を生み出す可能性があるというのは、新しい仮説だと理解しています。」と述べました。「しかし、このような研究は、意識の場の効果があることを示唆しています。この技術を実践して意識の場の質を体験するために、十分な数のグループを集めると、社会にはこれらの拡張された『場のような』効果が表れるようです。」

意識の場の仮説は、物理学が物質やエネルギー場の多様性の下により大きな統一性を発見したのと同じように、個人間に基本的なつながりがあることを意味していますその基礎となる場がより強力に活性化されるほど、平和と調和の統合的な影響が生活の表層に及ぼされます

この仮説は、超越瞑想技法を紹介したマハリシ・マヘーシ・ヨーギーによって1960年に最初に提唱されました。この仮説は、1970年代と1980年代に発表された研究によって初めて確認されました。その中で、人口の1%が超越瞑想を実践している都市は、積極的なトレンドの大幅な増加が見られたと観察されました

さらに、高度なTM-Sidhiプログラムが導入された場合、その効果はさらに大きくなりました。人口の1%の平方根だけが、社会における調和を増し、多様な生活の質の指標を改善することが示唆されました

この仮説の支持を示す、14の研究からなる9つの査読付き記事が現在出版されています。

過去の研究は、数週間または数か月の間、高度な瞑想プログラムを行うグループに基づいていましたが、この現在の研究は数年にわたって行われ、長期的な変化を調査する機会を提供しました。


厳密な統計分析


研究の筆者たちは、結果の「中断時系列解析」と呼ばれる、一種の「傾向分断介入分析」を用いた解析の主要な統計的仮定の妥当性を確立するために、診断テストのバッテリーを使用しました。

彼らはまた、経済的傾向、投獄率、季節サイクル、人口の変化、および警察戦略などの代替仮説が観察された減少を説明するのに十分でなかったことを発見しました。

例えば、2007年から2009年にかけての深刻な景気後退期に、暴力犯罪率が広く予想されていた上昇の代わりに、著しく減少したことがあります。経済と犯罪の専門家によると、これは第二次世界大戦以来、犯罪率が大きな景気後退期に上昇しなかった初めての事例だということです。

NBCニュース「失業率上昇、しかし犯罪は減少:どういうことか?」(2012年1月3日)を参照してください。ニューヨークタイムズは前年に同様の報告を発表しました。「専門家が驚くべき大犯罪減少傾向に戸惑う」(2011年5月23日)。ワシントン・ポストは2010年5月25日にこのニュースを最初に報じました。「米国の暴力犯罪が減少傾向にある」


犯罪予防に重要な意義


「多数の研究で、超越瞑想とTM-Sidhiプログラムを実践する大規模なグループと社会における暴力との間に非常に有意義な関係が示されていることを考えると、これは犯罪予防に対する重要な示唆を持っています」とDillbeck博士は述べています。

2007年から2010年の期間に集まったグループは現在、やや解散しています。Dillbeck博士は、各国にグループを設立する支援を政府が行うことができれば、長期的にこれらのグループを維持することができ、国々間の敵意を減らし、調和を促進する驚くべき効果があると提案しています。さらに研究によって評価できます。実際、いくつかの国では、私設の組織を通じてこのようなグループを作成し、政府からの支援をますます受けています。


社会的暴力と集合意識:米国の殺人事件および都市の暴力犯罪率の低下。マイケル・C・ディルベックとケネス・L・キャバナー、マハリシ大学科学技術公共政策研究所。DOI:10.1177/2158244016637891


ジャーナル

SAGE Open


翻訳:GPT4